勇敢な戦国武将たち

室町幕府の最後の将軍 足利義昭

室町幕府15代将軍である15代将軍は、12代将軍である足利義晴の次男として誕生します。

このときには、既に応仁の乱などによって、室町幕府の権威は失墜しており、室町幕府とは名ばかりの状態になってしまっていました。

既に足利義輝が嫡男として誕生していたため、15代将軍は出家をして僧として暮らしていました。

しかし、兄である足利義輝が、三好長慶や松永久秀によって謀殺されてしまいます。

そして三好や松永は自分の都合がいい将軍を後釜として据えるのですが、実権を取り戻すべく、足利義昭は還俗をして、後ろ盾になってくれる大名を探します。

当初は、北陸の名門である朝倉家に身を寄せていたのですが、朝倉家は上洛をするのに消極的だったため、当時勢いのあった織田信長を頼って、岐阜に身を寄せます。

大義名分を得た織田信長は上洛の群を起こし、都を取り戻し、15代将軍として、足利義昭を就任させます。

しかし、足利義昭は、政治に口出しをさせない織田信長に対して不信感を持ち、反織田包囲網を作ろうと、全国の大名に対して使者を送ります。

その結果、織田信長は苦しい立場になり、足利義昭は好機と見て挙兵をするのですが、武田信玄はなくなり、他の大名や勢力も各個撃破されていき、足利義昭も降伏します。

以前にも、足利義昭は反旗を翻したため、都を追われて、毛利家を頼り西国に亡命しました。

これによって室町幕府は終焉を迎えたのです。

毛利家でも打倒織田家を掲げるが・・・

毛利家に身を寄せてからも打倒・織田家を掲げていましたが、毛利家は領土の維持をするだけで、勢力の拡大や織田家に対抗するのは消極的でした。

また、当時、織田家は飛ぶ鳥を落とす勢いだったため、他の大名家も織田家に挑もうとしませんでした。

織田信長が本能寺の変で亡くなり、後継者になった豊臣秀吉は毛利家と講和をします。

その後、豊臣秀吉は武家の棟梁である征夷大将軍になるために、足利義昭の養子になろうとしますが、足利義昭は申し出を断ります。
長編出兵の際も、名護屋までは出兵しましたが、その後腫れ物によって生涯を終えました。