誰もが知っている英雄

藤原氏の繁栄をもたらした藤原道長

5男で藤原家の後を継ぐ強運の持ち主

元々、藤原道長は藤原兼家の5男として誕生しましたから、家督を継ぐ権利は全くありませんでした。

若くして権大納言という官位を持っていましたが、それでも5男ということで、これ以上官位を手に入れることは出来ませんでした。

藤原兼家が死去し、長男である道隆が家督を継ぎ、その道隆の嫡男である藤原伊周も内大臣という高い官位を手に入れています。

この時、道隆の隆盛が決定付けられたかのように見えたのですが、疫病が都で流行してしまい、次々と藤原道長の兄弟たちは流行り病で死去します。

まだ藤原伊周は生きており、叔父である藤原道長と関白の就任争いをしています。

このとき、最終的に藤原道長が関白に就任したのですが、一条天皇の母親であり藤原道長の姉にあたる詮子が藤原道長の後ろ盾になり、藤原道長が優勢になっていました。

ただ、当時の天皇であった一条天皇は、どちらかを選んでは争いになるのではないかと思い、藤原道長を右大臣に就任させます。

しかし、翌年には、さらに昇格して左大臣を任され、再び藤原道長と藤原伊周の争いが水面下で行われるようになりました。

藤原伊周は恋敵だと思い込んでいた花山法王に対して矢を放ち、花山法王の袖に命中してしまったことで、罪を負うことになり、罪人として都から追われてしまいました。

このように、思わぬところで二人の争いは終焉を迎えたのです。

藤原家の全盛期を築き上げる

その後、さらに権力を握るために、藤原道長は天皇の外祖父になることを画策します。

甥でもある一条天皇には、定子という妻がいましたが、権力に物を言わせて、自分の娘である彰子も一条天皇の妻にします。

その後も、後一条天皇や三条天皇にも娘を妻にさせて、その権力を強めていき、摂政関白の地位を確立し藤原家に繁栄をもたらしたのです。