誰もが知っている英雄

日本の仏教に大きな影響を与えた鑑真

日本では、8世紀ごろから仏教の力が強くなっていったのですが、僧たちが風紀を乱し、権力におぼれていました。

そのため、仏教者として恥ずかしくないルールを作り、導いてくれる僧を朝廷も探していました。

そのため、遣唐使を何度も送り、中国の高僧を迎え入れることに力を入れていたのです。

日本の僧も遣唐使として中国に渡り、鑑真と対面を果たしました。

そして、日本の仏教界の現状を嘆き、日本の仏教を正しくしたいと訴えたのです。

鑑真は既に55歳で、当時としては既に長寿であったのですが、日本の仏教を正しくするため、日本に行く決意を固めます。

しかし、船が座礁してしまったり、密告されてしまったりして、10年間日本に渡ることができませんでした。

どうにか、5回目でようやく船に乗って唐から出ることは出来たのですが、嵐で遭難してしまい、海南島に到着をしてしまったりするなど、非常に難航していました。

遭難をしてから1年後に、再び唐に戻るのですが、これまでの無理が祟ったのか、鑑真は視力を失ってしまいます。

鑑真が、日本の地を踏むことが出来たのは、10回目の渡航でした。

日本の文化にも大きな影響を与える

日本の現在の鹿児島県に到着した鑑真は、平城京に行き、聖武天皇から日本の受戒の一切を任されます。

その後、鑑真は日本の仏教の発展を掲げて、まずは唐招提寺をたて、仏教の戒律を定めます。

また、鑑真と一緒に渡来してきた中国人が日本に美術や建築方法などの技術を伝来し、日本の文化に大きな影響を与えることになったのです。