勇敢な戦国武将たち

元寇と闘った若き武将の北条時宗

来歴と元寇の襲来

建長三年に鎌倉に生まれた北条時宗は、鎌倉幕府五代目執権の北条時頼の子です。

幼少の頃から抜群の才能を見い出され、鎌倉幕府の大きな力となると目されたため非常な英才教育を受けて育ちます。

時宗はその期待に応えわずか14歳のときに執権の補佐役になり、18歳のなるに至っては第八代執権になるほどでした。

しかし時代は時宗にいきなりの難問を突きつけました。

歴史の世界で、元寇(文永の役や弘安の役)と呼ばれる元軍の襲来です。

元々時宗が第八代執権に就任する前から元の皇帝フビライ・ハンは、属国になるように要求してきていました。

しかし時宗はこの要求を無視していたところ、文永十一年十月に約三万数千の船団をもって襲ってきたのです。

日本は苦戦を続け一時期は博多を占領されるほどでした。しかし元軍は暴風雨のため撤退してしまいます。

なんとか自然を味方に付けて元軍を撤退させた日本でしたが、元軍は弘安四年になって前回の4倍近い兵力で再び襲ってきたのです。

しかしこの時も台風に依る暴風雨に混乱と日本軍の総攻撃で元軍は壊滅し、日本は難を逃れたのでした。

残念ながら若くして急死

見事に元軍を退けて日本を守った時宗でしたが、国内には大きな問題が山積していました。

何より頭を悩ませたのが元寇を退けた件の恩賞問題でした。

戦には勝ちましたが防衛戦だったために、何も得たものは無かったのです。

この恩賞問題に苦慮していたなか、弘安七年に発病した時宗は発病から数日後に急死してしまいます。

元来短命の家系であるとも、また過労死であるとも言われています。