戦乱の時代

日本の歴史を大きく変えた本能寺の変

戦国末期、圧倒的な勢いで領土を拡大していた織田信長が、このまま天下統一をするだろうと思われていたのですが、毛利討伐の援軍に向かう途中に宿泊していた本能寺で自害をしてしまいます。

1582年6月1日に、貴族や茶人などといった人たちと宴会をした後、本能寺に宿泊をしていたところ、織田家宿老の一人である明智光秀が謀反を起こして攻め入ります。

このとき、わずかな供回りしか連れていなかった織田信長は、13000人の明智勢に善戦をしますが、最終的に自害をします。

さらに明智軍は、織田家嫡男である織田信忠を二条御所で強襲し、織田信忠も自害しています。

謎が多い本能寺の変

しかし、この本能寺の変というのは、いくつかの謎があります。

一つ目として、明智光秀の親族の中に、本能寺の変が起きてから、土佐に亡命をした人間がいるという点です。

まだ、このときには山崎の戦で明智家は滅亡をしていなかったにもかかわらずです。

さらに、本能寺の変に限って、織田信長の周りには織田家有力武将が全くいなかったという点も謎とされている点です。

一般的に、本能寺の変は明智光秀の衝動的な謀反だったといわれているのですが、少数で旅をしていた織田信長を本能寺で強襲するにはタイミングがよすぎるといえるでしょう。

そのため、最近は、本能寺の変は明智光秀を先導した人間がいたのではないかという説も生まれているのです。

誰が本能寺の変の黒幕なのか?

本能寺の変の黒幕といわれている人物は複数います。

例えば、嫡男を自害させられた徳川家康や、本能寺の変後、天下人になった豊臣秀吉、幕府を滅ぼされてしまった足利義昭など色々なものがあります。

足利義昭は、以前明智光秀が家臣になっていましたので、有力候補の一人になっているのですが、この時毛利家の居候になっており、もはや権力がなかったので怪しいところです。

そのため、現在最も有力なのは朝廷の公家たちが明智光秀を先導したという説です。