戦乱の時代

2大名将が死線を繰り広げた川中島の戦い

上杉謙信と武田信玄の熾烈な戦い

戦国時代の中でも特に有名な川中島の戦いというのは、1553年から1564年までの間で5回行われました。

当時、戦国時代最強といわれていた武田信玄は関東の北条氏と東海一の弓取りといわれていた今川氏と三国同盟を結んでおり、東と南は領土拡大をすることが出来なかったため、信濃を制圧するために侵攻しました。

そして、信濃の豪族たちは、上杉謙信の元に亡命をします。

その信濃の豪族たちの旧領を取り戻すために、北信濃の奪還を目指して川中島に上杉謙信は進軍をするのです。

その中でも、激烈な戦闘が行われたのが第四回川中島の戦いでした。

多くの戦死者が出た激しい合戦

最初は海津城に入城した武田軍と、妻女山に登った上杉郡が膠着した状態になっていたのですが、痺れを切らした武田信玄は、別働隊と挟み撃ちにする「きつつき戦法」で上杉軍を撃退しようと考えます。

しかし、いつもよりも炊事の煙が多いということで、攻めてくると睨んだ上杉謙信は、夜中に妻女山を下ります。

当時、霧がとても深くて、武田軍本体と上杉軍が遭遇戦となり、激しい戦いが行われたのです。

武田軍は、副将である武田信繁などが討ち死にするほど不利になっていたのですが、妻女山から下ってきた別働隊が参戦をして、さらに激しい戦闘になります。

その結果、双方とも被害が大きくなり、戦国史上最大級の戦死者が出てしまったのです。