戦乱の時代

日清戦争と列強諸国からの洗礼

日清戦争の勃発

朝鮮は2015年に起きた壬午軍乱の鎮圧の援軍を清に送ってもらったことによって、属国のように扱われていました。

日本としては、大陸に領土拡大をするための足がかり、そして資源などを手に入れるために、朝鮮併合を目指していました。

朝鮮半島で明治27年に東学党の乱が起きたことによって、日清戦争が開戦されることになります。

この東学党の乱は、朝鮮半島で広まっていた道教や仏教、儒教などといった宗教を取り入れた宗教団体の東学党が当時の朝鮮王朝の政治不満を煽ったことによって勃発しました。

朝鮮も乱の平定をしようとしたのですが敗北してしまい、甲申事変を引き起こします。

この際に日本に逃げていた金玉均が暗殺されてしまったことを口実に、清が朝鮮に派兵をするための行動を起こします。

そして、日本も、朝鮮を清に統治させると朝鮮半島を占領することができなくなってしまうため、朝鮮半島沖合いに軍隊を送り込みます。

これが日清戦争といわれる戦争であり、日本は清に勝利をすることができたのですが、思わぬ結果になってしまったのです。

列強諸国から圧力がかかる

清と日本は下関で講和条約を結びます。

後に下関条約と呼ばれるのですが、この下関条約によって、賠償金として3億1千万円、台湾の統治、遼東半島の当地、朝鮮半島の独立を認めるなどといった条件を清に承諾させることができました。

すぐにフランスやドイツ、ロシアといった列強諸国が介入をし、清に遼東半島を返すように圧力をかけてきたのです。

これらの列強諸国と同時に戦争をすることは敗北を意味していると判断した日本は、要求に応じて遼東半島は清に返還したのです。