戦乱の時代

戦国時代の発端になった応仁の乱

応仁の乱は、次の足利将軍の跡継ぎ問題が原因で勃発しました。

京都を中心に、山名持豊を大将にした西軍11万と細川勝元を大将にした16万の軍勢が全国で戦争を行うようになったのが、この応仁の乱となっています。

ただし、足利家の跡継ぎ問題だけではなく、他にも色々な要因が絡み合っています。

例えば、畠山家でも跡継ぎ問題で身内争いが行われていました。

この跡継ぎ問題でも、山名や細川が関与しています。

また、斯波家でも、家督争いが行われており、それぞれの派閥に細川や山名が関与しているのです。

そして、山名派や細川派が争うようになり、全国規模で戦争が行われるようになったのです。

10年に及ぶ争いで室町幕府や守護大名は形骸に

応仁の乱は、一進一退の戦いになっており、10年も戦争が続いてしまいます。

西軍と東軍のどちらかが勝利をしたというわけではなく、大将である山名持豊や細川勝元が死去してしまったことによって、戦争がうやむやになってしまったのです。

これによって、守護大名も室町幕府も疲弊してしまい、守護大名に従っていた豪族などが下克上をするようになり、いわゆる戦国時代になっていくのです。

そして、応仁の乱から始まって、戦国時代が終焉を迎えて全国が豊臣秀吉によって平定されるまでに、約100年もかかってしまったのです。