各国にいた世界的な英雄

日本を開国へと導いたペリー

ペリーは、父親がアメリカ海軍の軍人として働いており、その背中を見て育ちました。

そして、ペリー自身も16歳のときにアメリカ海軍に入り、イギリスとの戦争も体験をしています。

米英戦争で功績を作ったことによって、アメリカで初めての蒸気船であるフルトン号の造船の責任者を任され、フルトン号2号船艦長に任じられました。

その後も、アメリカ海軍内での功績が認められ、大佐まで昇進をしていきます。

アメリカは色々な国に貿易などに行くようになりますが、その貿易の中継基地として、日本に寄港したいと考えるようになり、ペリーに日米友好条約を締結させる任を任せます。

ペリーとしては、圧倒的な武力を見せ付けるために、戦艦12隻を求めたのですが、戦艦はで払ってしまっていたため、ミシシッピ号だけで出航します。

太平洋を航海後、上海に立ち寄って戦艦3隻を迎えて、合計4席で日本の現在の神奈川県浦賀に到着します。

この4隻が黒船と呼ばれ、日本に大きな影響を与えることになったのです。

帰国後のペリーの人生

日本と条約を結んで帰国を果たしたのですが、大統領および政権が変わってしまっていました。

新しい大統領は、これまでの政権のあり方から路線変更をしていたため、日本で条約を結んだペリーの評価がかなり低かったようです。

そして、将来的に日米での競争が行われたり、日本が経済大国として成長するという遠征記といわれる書籍を執筆してひっそりと没しました。

この遠征記の予言が的中したことから、アメリカでも後に注目されました。