誰もが知っている英雄

近江屋事件にて暗殺された坂本龍馬

歴史的な経緯から同じ武士の階級においても、上士と下士という身分の違いがあった土佐藩に天保六年に生を受けたのが坂本龍馬です。青年に達した龍馬は剣術修行を目的に江戸へ向かい、ペリー来航に直面します。その後、佐久間象山に師事したことなどから政治活動を始めていきます。

その後、土佐藩の下士達を中心に結成された土佐勤王党に参加。土佐藩を尊王思想の方向に導こうと試みるようになります。しかし藩の動きが鈍いと分かるや文久二年に脱藩。その後は江戸で勝海舟の門下生となり、勝が主管していた神戸海軍操練所で海軍技術を学びます。

またその流れの中で竜馬達を庇護した薩摩藩は、龍馬が作った日本初の株式会社と呼ばれる「亀山社中」に出資。関係を深めた龍馬は対立関係にあった薩摩藩と長州藩が手を組めば、尊王攘夷の大きな力となると考え、自らが仲介役となり薩長同盟を締結させるに至るのです。

龍馬の作った亀山社中は、その後土佐藩に帰属することになり改組され、かの有名な「海援隊」となりました。海援隊は高い志を持って土佐藩出身者だけでは無く他藩の藩士も参加。蝦夷の開拓なども視野にいれて活動を開始していきましたが、経済的にはかなり苦しかったようです。

龍馬は大政奉還にも大きく関わり、倒幕の流れに大きく関わりを持って行きました。そして大政奉還がなった1か月後、龍馬は陸援隊の隊長でもある中岡慎太郎と共に近江屋にいたところを襲撃され命を落としたのです。

龍馬は僅かに33歳でした。龍馬の死によって船頭を失った海援隊は弱体化し、その後解散することになったのです。