戦乱の時代

士族最大の反乱だった西南戦争

西郷隆盛による士族の反乱

明治維新で大きな功績を作った西郷隆盛は、新政府の中でも重職を任されます。

そして、新政府による新しい政治を行っていたのですが、朝鮮に対しての外交の価値観が大久保利通などと相容れずに反目するようになります。

新政府は、元々は挑戦との国交を蘇らせようとしていて、朝鮮と交渉をしていたのですが、朝鮮は聞き入れませんでした。

その結果、西郷隆盛は政策を転換させて、武力によって挑戦を制圧する征韓論を唱えるようになります。

西郷隆盛は、この征韓論を受け入れ、まず使節団を朝鮮に派遣して、交渉をしてもだめなら占領するべきだと訴えます

そして、自分も使節団として加わることを受け入れないのであれば、参議という役職から身を引くとまで言い切りました。

そのため、政府側としても、西郷を辞任させてしまうのは非常にまずいと考え、受け入れるのですが、岩倉具視が明治天皇に西郷を使節として送るのは得策ではないと進言し、明治天皇は西郷の使節を認めませんでした。

これが決定的な亀裂となり、参議をやめて薩摩に帰国をします。

薩摩で政府軍に反乱を起こす

帰国をしてから、西郷隆盛は学校を開いたのですが、だんだん政治に関して論じる組織になっていきます。

そして、薩摩の警察や行政に対しても大きな影響を与えるようになったのですが、これを重く見た政府は大久保利通を通じて、西郷隆盛に挑発をしていきます。

この挑発に、西郷隆盛の門下生が乗ってしまい、些細なことから事件が起きてしまい、士族として反乱を起こすことに決めたのです。

その後、反乱軍は九州前後の士族に働きかけ、九州南部で戦闘を行っていくのですが、明治政府から派遣された軍隊によって壊滅的な敗北をしてしまいます。

そして、薩摩に敗走した西郷隆盛は城山で自刃して果てたのです。