各国にいた世界的な英雄

日本で罪を問われたシーボルト

ドイツで医学の勉強をして、医師として長崎のオランダ商館で働くようになったシーボルトは、高野長英などといった日本を代表する蘭学者の育成にも力を入れていました。

また、医学を日本人に教えるだけではなく、自分自身も日本の地形や日本に自生している植物について学ぶようになります。

日本に来日してから5年後の1828年に帰国をすることになったのですが、出航前にシーボルト事件と呼ばれる事件が勃発してしまいます。

一度は長崎から出航したのですが、暴風によって船が揺れて荷物が崩れてしまったのですが、その荷物の中から日本に関する資料や地図などが出たのです。

当時日本では、日本に関する資料や地図というのは、海外に持ち出すことは禁止になっていたため、シーボルトは捕縛されてしまいます。

土産物として高橋景保らから送られたものなのですが、高橋たちは牢屋に投獄されます。
シーボルトは外国人ということで、日本の法律に則って裁かれることはなかったのですが、国外追放されてしまいます。

ちなみにシーボルトはオランダが日本の情報を集めるために送り込んだスパイであり、地図などを既に模写していたため、オランダに帰国後に、日本に関する資料の発表をいくつも行っています。

ペリーとの確執

シーボルトが発表をした「日本」という書物をペリーもとても参考にしていたといわれています。

その話を聞いたシーボルトは、日本に赴く際には、自分も連れて行ってほしいと訴え出ていたのですが、日本から国外追放された人間を同行させてはトラブルになりかねないと判断したペリーは同行を断ります。

その後、シーボルトは、ロシアやオランダ主導で日本を開国させるべきだと主張しますが、ペリーに相手をされず、確執が生まれたといわれています。