誰もが知っている英雄

聖徳太子は本当に実在していたのか?

聖徳太子といえば、10人の話を同時に聞くことができたという逸話が有名ですし、歴史の教科書でも、遣隋使を隋に派遣をしたり、十七条憲法を作ったり、冠位十二階の制定をしたといった色々な政策を行ったということを学んだと思います。

聖徳太子は、用命天皇の子供として生まれ、叔母の推古天皇の右腕として政治にも大きく関わったといわれています。

また、当時伝来したばかりの仏教を信仰し、四天王寺や法隆寺の建立をしたとも言われています。

斑鳩宮で病死をした後は、蘇我氏によって子供たちは討ち取られてしまい、聖徳太子の記述もあまり残っていません。

聖徳太子の子供は、聖徳太子が亡くなった斑鳩宮で死亡したのですが、その後、斑鳩寺も落雷で燃えてしまっており、現存していません。

日本の歴史をまとめた日本書紀で、聖徳太子が行った政策などについて記されていますし、聖徳太子が奉納したといわれる品物なども現存しています。
しかし架空の人物説もある
聖徳太子は、元々は厩戸皇子という名前であり、この厩戸皇子が実際にいたことは他の文献を見ても疑う余地はありません。

ただし、聖徳太子と厩戸皇子が本当に同一人物だったのかという根拠は残っていないのです。

また聖徳太子が行った政策にも矛盾点があります。
例えば、厩戸皇子は十七条憲法の制定を行ったといわれていますが、その当時にはなかった役職名も記されています。

また、日本書紀を見ると、冠位十二階や十七条憲法の制定をした人物については、はっきりと人名が書かれているわけではなく、皇太子とし書かれていないため、厩戸皇子または聖徳太子が制定をしたのかは定かではないのです。