誰もが知っている英雄

寺坂吉右衛門は赤穂浪士の生き残り

どうして寺坂吉右衛門は生き残ったのか?

時代劇でも非常に有名になっている赤穂浪士47士による討ち入り事件は、当時の日本に大きな衝撃を与えました。

松の廊下で吉良上野介に切りかかった、浅野内匠頭が自害をして、浅野家が取り潰しを受けたことが発端になり、浅野家に仕えていた47人の家臣団が敵討ちをしたという事件でした。

討ち入りをしたときには、47人全員がいたのですが、吉良上野介の首を主君の菩提寺に納めに行ったときには44人に減っています。

残りの三人はそれぞれの役割を果たすために、隊列から離れていたのですが、その中の一人が寺坂吉右衛門だったのです。

富森助右衛門と吉田中左衛恩は、44人と合流をし、一緒に自害をしましたが、寺坂吉右衛門だけは切腹をしていません。

そのため、寺坂吉右衛門がどうして生き残ったのか2つの説が生まれたのです。

一つ目は、討ち入りが終わった後で、ひっそり逃げ出したという説と、大石内蔵助の指示によって隊から離れたという説です。

大石内蔵助が自害をする前に、寺坂吉右衛門は臆病風に吹かれて逃げたのだろうと語ったという話もあることから、前者の説が定説になっていましたが、寺坂吉右衛門の生涯を見ると、この説は矛盾しています。

寺坂吉右衛門のその後の人生

赤穂浪士が自害をしてから3年後に、自分も切腹させてほしいと訴え出ます。

ですが、徳川綱吉の法要をしたときに罪は許されており、切腹は認められませんでした。

寺坂吉右衛門は、その後妻子とともに、伊藤十郎太夫の家で生活をしていることから、命惜しさに逃亡をしたというのは根拠にかけるのです。

その後、寺坂吉右衛門は40年生き、死去後は主君や赤穂浪士たちの墓がある泉岳寺に埋葬されています。