誰もが知っている英雄

人生楽ありゃ苦もある水戸黄門の徳川光圀

徳川光圀といえば、時代劇ドラマとして有名な水戸黄門のイメージが強いのではないでしょうか?

好々爺で全国を回り、将軍に対しても媚を売らずに正義を貫くというイメージが強いかもしれません。

実際の徳川光圀は、当時では暴君として知られており、年貢をちゃんと納めない農民に対して容赦なく拷問をしたといわれています。

そのため、村ごと夜逃げをしてしまったという話だってあるのです。

さらに徳川光圀が死んだ後に、水戸では何度も一揆が起きています。

また、幕府から借金してまで蝦夷の調査を来ない、大型の船の建築をしています。

調査で思ったような成果を出すことが出来ずに、結局水戸藩は借金だけが残ってしまい、財政難になってしまったといわれています。

さらに、全国から様々な文献を取り集めて、大日本史という書籍を作成したのですが、この文献を集めるのに、水戸藩の予算の20%をつぎ込んでいたのも、財政難になった原因になっています。

この大日本史を作るために、文献を全国から集めたことから、水戸黄門のように全国を巡る旅をするというイメージが作られていったのです。

皮肉なことに大日本史で名君扱いされる

この大日本史は、後の幕末で志士たちに大きな影響を与えることになります。

このことから、志士たちの間で、徳川光圀は名君だったというイメージが勝手に作られていき、水戸黄門のイメージの肉付けをしていったのです。